人には何かやらないといけない、また、何かやりたいという動機に対し、これをやり遂げる為には、きっかっけ(チャンス)があると思います。
私と笛の出会いについてお話しいたします。
1981年(昭和56年)10月19日、琉球新報ホールにて八重山島々の盆踊公演が小浜、石垣市登野城、与那国の3郷友会合同で開催されました。私は琉球大学在学中、八重山芸能研究会で活動していたということで、与那国の部へかりだされました。
八重山の祭祀の芸能では、笛はなくてはならない楽器であります。小浜の部には、大学後輩の仲盛克己君がおりました。また、石垣市登野城の部には、小波本直俊と言う方がおりました。しかし、与那国の部で笛を吹ける方は一人もいませんでした。そこで、大学後輩の仲盛克己君へお願いしましたが、彼は小浜の部の稽古が忙しく、なかなか、与那国の部の稽古には来てくれず苦労しました。琉球大学在学中に三線だけ生噛りでやった私は、その時、笛もやらないといけないなあと考えさせられたのであります。
公演の当日、小浜の部、石垣市登野城の部には笛が入り順調にいきました。しかし、与那国の部は一部分だけ笛が入り順調にはいきませんでした。
石垣市登野城の部で笛を吹かれた小波本直俊という方の笛の音色を聴いて、私は身の毛がたちました。笛ができない私でも聞く耳はあります。大学後輩の仲盛克己君には悪いけれど、彼の笛の音色に比べると数倍も上でありました。よし、笛を習うならこの方だと心に決心したのであります。
それから4、5日過ぎて電話帳を調べ、小波本家へ「笛の指導をお願いします」という旨の電話入れると、先生は不在でしたが、奥様の「いらっしゃいよ」という快い電話の対応でありました。
電話をしたものの、大学を卒業して仕事に就いたばかりの私は、仕事との両立が心配で、三日坊主にならず笛をやっていけるかどうか考えた末に再度決心し、やっと、2カ月過ぎて、年明け1982年(昭和57年)1月に沖縄横笛協会小波本直俊横笛教習所に入門したのであります。
「一期一会」と言う言葉がありますけれど、小波本直俊先生は、私へ、その言葉をよく口に出し、話されていました。人と人との出会いを大切にし、学んでいきなさいということです。
現在では、笛をやってよかったなあと思っています。
以上、私と笛の出会いについてお話しいたしました。