私と横笛 横笛協会会員が語る 笛への想い、笛とのつき合い方

過去のコラム

vol.02 笛の最高賞に合格して

vol.02 沖縄横笛協会 教師 嘉弥真 国男の写真
沖縄横笛協会 教師
嘉弥真 国男
Profile
2010年 琉球新報社主催芸能コンクール笛部門最高賞受賞
教師

私の故郷八重山は、美しい自然、豊かな風土に恵まれ、すばらしい歌や踊りがあり、歌と踊りの島であった。少年の頃、野良帰りの名月に、馬の背にゆられながら大人たちが歌い合うトバラーマやジラバ、ユンタなどを聞き、そういう環境の中で生まれ育った私がふる里の環境に誘われ、トバラーマの心を笛で吹きたいと思い、笛の道に進み、早20年が経った。

そして、笛を習いたい一心である笛の研究所に通った。研究所で琉球新報社主催の古典音楽コンクールの新人賞を受けてみないかと言われたので軽くうなずいて、まずは笛の音出しから練習した。
家では笛の音が外に漏れないように、頭から毛布をかぶり、汗を流しながら練習した。頑張って自分なりに練習したが、音にムダが多く,上達も遅かった。絶対音感も出せないまま新人賞に挑戦したが不合格だった。

私の笛の現実は厳しく、自信も見当も見つからず、何度かやめようかと思った。思い直して2度目の新人賞に挑戦し、ようやく合格した。大変嬉しかった。笛は努力した人は裏切らない、努力が足りないから裏切られるのだと知った。

次の課題は優秀賞であった。課題曲は「かしかけ」「天川」であった。来る日も来る日もA曲の練習だけであった。私の練習怠慢と音感の低さもあって、優秀賞で9回も失敗してしまった。
優秀賞のコンクールの試験で9回も失敗した例は、まだ類をみていないと言われ、勘当まで言われそうだった。精神的なトラウマにもなり、客観的にみても恥ずかしく、笛のコンクールが始まって以来の出来事で伝説になってしまった。

何度も失敗はしたが、実に失敗は失敗で自分の恥にもなった。でも、失敗を何かに生かす知恵を出し、失敗の決断・処理がうまくできる能力を持ち、別の面にも良いプラスのエネルギーにしなければならないと思った。
この失敗を基に、今後は笛や他の面に進むためにも初心と同じく努力しかなく、必然の道故に、不退転の決意を持って次の課題の最高賞につなげたいと思った。

最高賞に挑戦するにあたって、自分なりに努力はしてきた。しかし、受験日が近づいてくると、失敗した精神的トラウマが脳裏に浮かんできた。急に精神的に自信喪失が来た。
受験の2日前に喜舎場先生に棄権を申し出た。
「ちょっと待って、まず課題曲の作田を吹いてごらん」と言われた。吹いてみた。先生は感動した様子だった。「これでいける」と言われた。
先生の一言で自信を持て臨んだ。実に笛の最高賞に合格し、実感となった。

笛の最高賞といえば、笛を志す者たちのあこがれの賞だ。このような賞をいただいたことは、のろい亀さんのように、ひっくり返っても自分自身では起き上がりきれない亀さんを両手で起こすように、私を導き叱咤激励して下さった喜舎場孫好先生のお陰であり、深く感謝申し上げます。

私は山の頂上でのろい亀さんが旗を持って万歳をしている姿を思い出しました。
このような喜びは、沖縄笛協会の師範の皆さまのご指導によるものでもあり、また、研究所の皆様も自分の賞のように大変喜んでいたよとの言葉もいただき、ますます実感が深まりました。
このような励ましの言葉は私の全細胞に活を入れていただきました。本当にありがとう。今後は束縛される課題曲もないので、横に曲のメニューを広げようと思う。
私は、たぶん一生笛を楽しみ吹き続けるでしょう。また、笛は私のアンチエイジングの必需品でもある。

*編集者コメント
植物研究をなさっているという嘉弥真さん。
著書に「沖縄のおけるミツバチの年間日周行動」「沖縄の蜜源植物」「シマツユクサの新変種おおシマツユクサ」などがあります。
たしか、何度もご苦労をされて優秀賞に合格されたその年は、新種のコケの発見が認められた年でもあり、感激もひとしおと打ち上げ会でコメントされていたのが印象に残っています。

平成23年1月13日

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